2011年9月25日日曜日

森光蘭

手段の為に目的を選ばなかった男モンティナマックス(HELLSING)
初恋を成就させるために対象も手段も選ばなかった男フェイスレス(からくりサーカス)

そして欲望を満たす為には目的も手段も選ばなかった男がいた。




当場作品『烈火の炎』


知力………7(機転・5 計画・2)「ずば抜けた直感力があり、機転に割り振らせていただいた」
学力………4(文系・2 理系・2)
技能………4(アナログ・2 デジタル・2)
武力………2(武器・1 格闘・1)「但し終盤では不老不死の怪物となり、完全無欠の強さを得る」
生命力……10(肉体・5 精神・5)「最強の魔導具、天堂地獄の防衛結界に生身で乱入し腕をなくしてもなお動き回る意外なタフさと、天堂地獄に取り込まれるどころか逆に取り込んでしまう精神力」
政治力……10(指導・5 交渉・5)「狂人だらけの暗殺集団を意のままに操る。愛憎さえも」
権力………10(地位・5 影響力・5)「日本の黒幕であるとされるがバトル漫画であるためどの程度の規模かは不明」
性質………10(度胸・5 冷酷・5)「鬼畜そのものの人格はすべてが欲望を満たす為が故の狂気である」
ルックス……0(美しさ・0 怖さ・0)
カリスマ……0(オーラ・0 威圧感・0)
ポリシー……10(信念・5 野望・5)「あくなき欲望を割り振らせていただいたがそうなると実質測定不能」
運…………10(チャンス・5 ピンチ・5)「主人公らと同等の補正がかかっている」

総合能力値 67~77(A)


表向きは慈善事業を展開するCOCOM財団の総帥。
その実態は戦国時代の火影忍軍の武器“魔導具”で武装した内外の暗殺部隊による武力支配で日本の裏社会の頂点に君臨する男。
本能寺の変で行方不明となった森蘭丸の子孫である事が暗示されており、代々伝わった古文書の類が火影忍軍と魔導具の情報元としていたと思われる。

永遠に欲望を満たし続けたいと考え、不老不死に執着。治癒の少女こと柳を執拗に狙う。(彼女自身に彼を不老不死にする能力は無いのだが、人体実験を経てその治癒の力を手に入れようと考えていたようである)

最強の魔導具、天堂地獄の所在を解読すると直属の暗殺部隊「麗」の首領であり自らが殺人マシンに育てた義理の息子、紅麗が謀反を起こす前に始末する。

そして天堂地獄を体内に取り込んでしまうと、今度は治癒の少女、柳を取り込むべく拉致。これに挑む主人公・烈火とその仲間たちに最強の暗殺部隊「裏麗」を指揮し待ち構える。

以上、その姿は唯只管に醜悪、醜悪、醜悪
喉が乾いて紙パックのジュースをチューチュー吸う超単純な生理的欲求を満たす姿さえ見てて気分が悪くなるという有様だ。

欲望を絶やさない為に不老不死という荒唐無稽に執着し、怪物として欲望を満たし続ける事に一切の躊躇のない。
その実、本人は何も考えていいない。考える事は欲望を満たすことの妨げでしかない。考える事を止めていた段階でもはや彼はバケモノだったのだ。
そう、彼は悪魔に魂を売ったのではない、彼の魂そのもが悪魔なのだ。
そして終盤こそ、肉体がようやく彼の欲望に追いついたのである。

こんな性格最低な男なのだが一方で彼は、作中で舌戦において負けた事がない。というのも登場人物全員が彼に半端ではない憎悪を燃やしており、彼の前では理性が働かなくなっている。己が理性が無い事に留まらず、他人の理性まで奪ってしまう。慣れない憎悪を伴って正義の味方が口汚く罵った所で、悪そのものである光蘭の悪態のボキャブラリーに敵う訳がないのだ。

安西信行は悪役おも魅力的に(悪く言えば腐女子から人気)描いている一方で「読者の全てに憎まれる漫画史上最悪の悪役を作りたかった」と語っている。
それ故の作中の人気キャラ紅麗を嬲り殺しにしようとする彼の姿は白眉。反響は凄まじくあまりのことに単行本表紙で彼を描くことは自重したという。

彼の邪悪な魂がまだどこかで生きているのならば、安西先生には『森光蘭の野望の王国』みたいな物を漫画ゴラクあたりで描いてみてもらいたいものである。

2011年4月9日土曜日

人肉ラーメン

@名作


『八仙飯店之人肉饅頭』以降、カニバルホラーというジャンルは露骨なグロ描写とホラーというよりはバイオレンス映画のような破壊衝動が画面を覆う傾向となっていた。

(単純に香港映画がホラーを苦手としている可能性もあるが・・・)

本作はその点、ホラー映画としてのおどろおどろしさに回帰している。もはやバイオレンスに逃げた人肉饅頭を叱咤するかのように乾いた暴力を排している。

オープニングで、人間がラーメンのスープに浸されるが、この段階ではさりとて凶悪なグロ・ゴア描写は無いのだがしかし、ただただ食材と扱われる成人男性の遺体は強烈なおぞましさだ。

かつ、本編冒頭から人のモツが入ったラーメンや吐き気を催す激痛の描写は筆者が長らく見てきたスプラッター描写の中でも上位に食い込む。

凶行に走るのがパッと見でギリギリ美人の分類な太めの中年のオバサンなのだが、虐待の過去や夫の家庭内暴力、そして人肉ラーメンを作り続けてきた異常者である姑の母権等に精神を病んでいる。本作ではその悲惨な生い立ちがコレでもかと時系列バラバラにモノローグ的に挿入される。
映画はこの凶悪な殺人鬼の悲しみを軸に展開されていく事となり、彼女は悲しみを深める度々に人肉を詰んだラーメンの屋台を引っ張ってあくせくと働く。

太めの中年女性を主人公に据えたこのアプローチは『死霊の罠2―ヒデキ―』を彷彿とさせているが、シュールの領域に突入してしまった『死霊~』よりも飽くまで現実感を優先した本作に軍配が上がる。

残念ながら主人公以外のキャラクターがとても薄い事と、凶行が露呈する場面においてそれまでの凶行は観客が把握し尽くしていた為にあまり恐怖心を煽らなかったり、終盤で主人公の狂乱する場面もフィルム効果を使い過ぎていてブツ切りの印象になったりといった欠点も抱えているが、久しぶりに上質のスプラッターホラーが、タイという映画産業としての注目度が高まりつつある機運の時に発表されたことを私は素晴らしいことだと思っている。

最後の最後で鬼畜の親玉である姑の家に逃げこみ、何故か少女の頃の姿で微笑み返すロジックにまみれたラストも好印象であった。

2011年4月2日土曜日

レイダース 失われたゾンビ

@伝説の最低映画
@酷すぎて暴動が起こった(実話)

映画の内容云々以前にそのつまらなさに会場の客が続々と怒り初め。最終的には暴動に発展したという逸話があまりにも有名な作品。
(政治・宗教・人種等の問題を除いて純粋な糞さで暴動を引き起こした作品はおそらくこれだけだろう。

しかもその会場というのがファンタスティック映画祭。要するに変な映画を寄せ集め褒め称えるオタクの会合という地雷原で暴動が発生した。この点も特筆すべきである。

虚無の『死霊の盆踊り』、ストレスの『失われたゾンビ』と語られており、『死霊の盆踊り』が引き合いにされている映画であると考えていただければ分かりやすいか。
ストレスを与える映画といえば『ネオンマニアックス』も相当なものだが、本作の観客への攻撃は一つ頭飛び抜けて凄まじいものである。

『死霊の盆踊り』すらエド・ウッドの脚本クリズウェルのカンペ読みというマイナスのカリスマ劇が観客の前で繰り広げられる。これは快楽指数の高い瞬間だろう。

しかし本作は

冗長極まるシーンを
冗長極まる1カットで
ストーリーラインすらまともに存在していない中に
手抜きな上に下手くそな演出・編集で

フィルムに放りこまれている。ほとんど登場しない上にしないほうがマシなメイクのゾンビをトッピングして---

ストーリーラインに至っては「一貫性が無い」という表現すら不相応なレベルであり、評価のしようがない虚空の領域
この虚無の中に潜む全てが観客にストレスを与えてくる。これはもはや精神汚染である。

頑張ったけど抜きどころのないポルノの虚無感とは異なったストレス(精神汚染)を観客に容赦なく浴びせ続けるのだ。

徹頭徹尾駄作のあまり約3分に及ぶフルコーラスの手抜きOPが本編と野次られる点は、正に最低映画界の『デスクリムゾン』と形容するに容易い。
否、デスクリムゾンこそがゲーム界に転生した『失われたゾンビ』といえよう。変な銃が活躍するなど、もはやコレは呪いである。

実際、筆者ですら学園黙示録が日本で放映されるまで本作に匹敵するストレス指数の高い駄作を見たことがない。

しかも学園黙示録ですら、

・面白そうな一話
ただ小奇麗なだけの安定した作画
頭の悪いキャラクターのお色気
・某漫画家平野耕太とは認めないが名貸

等、客寄せになるポイントは持っているが残念ながら本作はそれすら持ち合わせていない。

最大の謎は本作がなぜお蔵入りにならなかったのかという一点である。
なにかの間違いで本作をビデオ配給したTCC(徳間コミュニケーション)曰く

「興奮のあまり観客がスクリーンのゾンビと戦い始めた!」らしい。

なお、原題はRAIDERS OF THE LIVING DEAD』であり邦題に関してはTCCに罪は無い。

*今回のレビュー、まったくやる気がない。というか学園黙示録の補足の為の記事である。個人的なストレス指数では本作を上回っている。
*ストーリーは他所を回ってくれ。死ぬほど疲れているんだ。

2011年3月18日金曜日

2011年3月2日水曜日

謝罪文

長きに渡り更新を滞らせていたデッドライジングの実況動画『ゾンビ対ヤクザ』の打ち切りを報告します。

一身上の都合で動画クオリティーが維持できず更新を停止していましたが、打ち切りの決心をつけて最後の収録を行いましたが、DVDデッキの故障により、肉屋戦~ゾンビ化ジェシーを惨殺という本来プレイした映像が収録できませんでした。(ファイナライズを終えた映像が1分で暗転してしまう。録画テストの段階では15秒程度の映像しか収録していませんでした。)
『デッドライジング』はゲームの性質上、やり直しが効かない為、1プレイでの撮り直しができません。

また本日に到るまで度々起こった更新の明らかな停滞ですが、動画を上げるたびに作品の出来不出来の判断が自分で解らなくなって怖くなってしまったというのが本音です。収録が苦痛となってしまったのです。

尚、引越し先の環境が実況がほぼ不可能となってしまいました。

恐らく実況動画の配信を行う事は二度と無いでしょう。

今後はMAD・映画の音声解説等を中心に更新していこうと思います。
(そして別アカウントでの著作権の状態が曖昧な映画作品のUP)

お怒りを買うことは重々承知の上ですが、謝罪の言葉で閉めさせていただきます。


ご期待にお答えできず申し訳ございません。

2011年1月1日土曜日

GOEMON

@忍者アクションとしては次第点
 @脚本は最低


キャシャーンから見えにくかったアクションシーンは大進歩した。しかしCGが進歩していないコレが『無双シリーズ』よりも前なら評価もかわったが、シンメトリー構図の多さは引き出しの少なさを露呈してしまった感は否めない
五右衛門の泥棒としての活躍は序盤にとどまっており(しかもそれが『カリオストロの城』にオマージュで終わっている)
基本、それなりの映画なのだが、アラが尖っている。面白さに尖った点はない。
私的に本作の失敗は終盤で登場人物全員がアホになってまう点が大きい。
・才蔵の家族が襲撃させると何故か予測していない五右衛門(石田三成が序盤で耳に入ってる。)
・立身出世が目的でいたにも関わらず死ぬ間際に世界平和を唱える才蔵。




他にも色々とあるが、 最終決戦手前の盛り上がりとも言うべき場所でのこの失敗は本作の評価を大幅に下げざるを得ない。というか、才蔵の演説よりも、その後に赤子を釜に放り投げる秀吉の方が圧倒的にインパクトがあった。演説の内容なぞみんな忘れる。
紀里谷和明監督は、素直に高いポテンシャルを持ってる“天才”に部類する監督だと思う。しかし登場人物が唱う世界平和だが、登場人物たちが戦う戦場ではどんな派手な戦闘シーン・流血シーンにも暴力的感情が込められていない。主人公が常に反体制側であるにも関わらず反体制を貫く“野蛮”なエネルギーに欠けている。

これらは彼の坊ちゃん気質に起因するものであると断言する。温室育ちで、映画撮らなくても食っていける。(彼の出身を鏡見れば革命家にでも成れば良かったのに)

本作でお尋ね者のアナーキストの筈の五右衛門が鳥の肉を食うシーンで、鳥の骨までしゃぶる事は無く、柔らかくて美味しそうな部分だけ食べて「ごちそうさん」という。
坊ちゃん監督の性格的な甘さがよく出ていたシーンだと私は断言する。

私が前期の作品の平和論が頭が悪いと評したのはそういう事ではない
徳川家康に天下の太平を約束させた五右衛門などは、キャシャーンの無意味かつ意味不明なバッドエンドからは随分飛躍できたと思う。しかし、途中から付いてきた子役は完全に蛇足な上に、支離滅裂な五右衛門の説教でその必要性は皆無だったりと、性善説を描こうとした結果登場人物が白痴化するという前例多々ある最低要素の一本。『モスラ3』の白亜紀編と同じでやらないほうが出来がよいのだ。


というか、本作の一番の見所はCGも何も使っていない、 平 幹二朗が人肉料理にされるシーンである。このシーンだけで「この映画見てよかった。」と思わせてくれるのだから紀里谷さんはもっと野蛮になるべき。

十三人の刺客(2010)

@名作
@『新・仁義の墓場』と同じぐらい名作で同じぐらい奇跡のPG-12




『十三人の刺客』というよりも『武士道戦国志』か『大笑い、十三人の、馬鹿騒ぎ』のほうが十兆倍しっくり来る作品。


敵味方含めて登場人物全員が各々のベクトルで常軌を逸しており、シグルイな価値観でのみこの異常極まりない超弩級残酷絵巻に参加している。 


仇役、松平の殿様からして既に凄い、鬼畜も鬼畜、CAVE語で言う鬼畜の領域であり『カムイ伝』の殿様と『武士道残酷物語』の殿様と『バイオレンスジャック』の殿様の全部盛りなのだ。気色悪さでは『ギニーピッグ2』の殿様の鱗片さえ見える。実際に映画を見れば小生の例えが恐ろしいほど正確である事が解る。
これを演じるのが稲垣吾郎といのもものすごい。本当に温室育ちのお殿様のイメージそのままで野蛮な悪党全部盛りなのだ。吾郎さんのいつものナルシストなオーラも相まって、立ってるだけで、不動のままで怖いとんでもない悪党が誕生してしまった。

13人の善いもんの鬼畜の親玉、役所広司はそいつの所業を目の当たりにして笑う、どん引きというよりも武者震いに近い。チープな狂笑というよりも、こみ上げる感情がなせる笑い。この導入部だけでこの映画は100点である。
で終盤の13人VS300人だが「13人が30人づつ殺れば楽勝じゃん?」と思う人も居るだろう。

『あずみと』は訳が違った、切っても切っても13人を圧殺する敵勢の圧倒的な数の脅威を描ききっている。地獄のような光景だ、13人の一人が息絶える直前に見る、敵味方が殺し殺される場面に顕著だと言える。

その末路に至るまでジャニーズ的には吾郎さんを出したのを後悔しただろうが、血だるまになりながら、鬼畜と化して「みなごろし」をやってのけたキャスト、描き抜いた三池組百点万点の武士道残酷物語ならぬ武士道鬼畜大宴会であった。