2010年3月24日水曜日

ジル・リップス=殺戮者=

@ドルフ主演作的には黒歴史
@大駄作

1975年のボストンを舞台としているが、この時代設定そのものが全く無意味である。
ある日、ドルフ演じる主人公の兄が亀甲縛りで発見されるという猟奇的なOPを迎える。
ドルフは元・刑事で、兄の死について単身で探偵の真似事を始めるが……
(アル中という設定があるが、スウィーパー以上に無意味な設定であり早々に忘れられる)

まず、本作冒頭から真犯人の候補が続々と羅列される。ドルフが発見した訳では無く、ダラダラと登場する。

兄が建造に反対していた地下鉄の鉄道会社。
鉄道会社の用心棒(何故か吹き替えが名古屋弁)
兄の妻
兄が足しげく通っていたSM嬢

何か猟奇的な人物によるサスペンスなどは無いのだ。

しかし、稚拙な脚本を除けば、低予算ながらアングラじみた冒頭の雰囲気はなかなか引き込まれてしまう。
新たな犠牲者が発見された時の、「発見者がトラックで遺体を引いてしまった!」とか、その遺体の特殊メイクの秀逸さはいよいよドラマが本格的に動くのかと期待してしまったが、
物語は此処でSM界隈に縛られ(そっちの意味じゃない)どんどんつまらない物に。
ラングレンは挙句にパンツ一丁で亀甲縛りという情けない姿を(視聴者に)さらす羽目に。
結局犯人も、冒頭で列挙された人物たちに代わる事も無く、結局そいつかよ!ってオチがつく。

なお、本作。ラングレンが弱い。弱すぎる。鉄道会社の用心棒に手も足も出ないなんてのは酷過ぎる。

小生ならこう考える、
強硬派の刑事は、とうとう警察を免職。アル中に落ちいていたが、兄が猟奇的な殺人で殺される。
ドルフは怒りのあまり、単身総当たりのゴリ押し捜査を開始。SMクラブで大乱闘、鉄道会社で大乱闘の果て、真犯人の鱗片を拾い集めていくのだが・・・・・・

でも本作はこう、
アル中の割に元気で人間関係良好な元・刑事が、兄をSMと見せかけた猟奇殺人っぽいSMプレイで殺され、ドルフは怒りの余り、図体の割に、鉄道会社でボコボコにされ、SMクラブで亀甲縛りにされながら単身捜査を続ける。がんばった割に犯人は一番身近にいた兄の妻

2010年3月22日月曜日

JM

@凡作

『マトリックス』のヒット以降、その致命的なダサさで再認識された映画。
キアヌ・リーブス演じる行き当たりばったりな記憶屋の近未来バイオレンスの触れ込みながら、設定倒れしたストーリーの頭の悪さ、ビートたけし、ドルフ・ラングレン、アイス-T等、謎過ぎるキャスティング。そしてダサさで興行的惨敗した。
初期のシャ乱Qとかメタリカのデビュー盤とかマノウォーとかXジャンプとかジャクスン・ジョーカーそんなダサさじゃない。要するに褒められるダサさではない。『北斗の拳』の雑魚など世紀末ファッショとか、指からレーザーカッターとかファミコンのパワグローブ状の操作デバイスとか、バーチャルボーイ状のインターフェイスとか、そもそも脳味噌を利用してデータを運搬とか……壮絶にズレた未来予想。
サイバーパンクって言葉を辞書引かずに、語感だけで妄想するとこんな感じのダサさになる。

そんな独特(というよりも安直)な世界観なんぞよりも、キアヌの行き当たりばったりさには泣けてくる。
開始十分も無いのに観客が彼についていけなるなる珍シーンに移る。

キ「俺の脳の記憶容量は80GBだ、約束した記憶容量4倍化装置は手にいれたんだろうな?」
 「すまん、2倍化装置なら用意できた。」
キ「この野郎、足りないだろうが、まあいい無いよりマシだ、これで俺の記憶容量は160GBだ」

依頼人「運んで貰う情報量は320GBだ」
キ「(内心ビビリつつ)大丈夫だはじめよう」

キ「早くデータを脳から出さないと死んじゃう!」

こんな感情移入の余地の無いアホが手に入れたデータを狙うのがビートたけし演じるヤクザとドルフ・ラングレン演じるカルト宗教の教祖
ドルフに至っては、キアヌがマジビビリして、格闘シーン無しという逸話つきだ!

キアヌ・リーブスがビートたけしとドルフ・ラングレンに襲われるってなんやねん。
そんな状態のキアヌを助けるのがアイス-Tって頼りなさ過ぎるだろ!そんなアイス-Tの尊敬するリーダーは麻薬中毒のイルカ。
魚じゃん!哺乳類でも食料じゃん!頭良くても魚じゃん!頭良くても麻薬中毒じゃん!麻薬中毒の食べれないじゃん!
『フェノミナ』に出てきたチンパンジーの方がまだ役に立つわ!
Tがギャングスタラッパーかなんかしらんが、映画的にはたけしとドルフなんて緋蜂改ですから。

ビックバイパー・キアヌがオプションにアイスとイルカのみで緋蜂改に挑んでるんですよ!

ま、たけしが自滅して、キアヌが勝つんだけど。ドルフが黒焦げになって世界に平和が訪れるんだけど。

余談・映画版『電車男』では、マトリックスと本作を一緒くたにした演出がラストに存在する。

2010年3月21日日曜日

スーパーマグナム

@超快作

『狼よさらば』『ロサンゼルス』の二作はブロンソンのベストアクトにしばしば挙げられる。
妻子を蹂躙され悲しみ・怒りに支配された主人公ポール・ガーシーの孤独な無差別復讐劇は観客に強烈な印象を与えた。ガーシーの悲しみを深めつづける戦いに皆胸を打たれたことだろう。

本作『スーパーマグナム』は、そんな孤独な戦いを挑み続けていたポール・ガーシーを所謂バカ映画にシリーズをシフトチェンジした事で救った(?)映画である。
『ロサンゼルス』のラストの銃声。ガーシーがクライムハンターとして生きる覚悟を決めた事を暗示させていたが、本作において描かれるガーシーはプロのワンマン自警団云々というよりも、発狂したとしか思えない強烈な意志のありさまを見せつける。

NYに戻ってきたガーシー、しかし時はまさに世紀末(にしか見えない)。町のチンピラどもは『狼よさらば』時代以上に凶暴(というか頭が悪くなって)に暴虐の限りを尽くしていた。
ガーシーは誤認逮捕を経て、NYの治安回復に絶望を感じていた警察署長直々に悪党狩りの密約を結ぶ。
作中でガーシーはワンマン自警団として都市伝説状態で伝承しており、地元住民から期待されて迎え入れられる。

ガーシーは早速「友達のウィルディを呼ぼう」と、電話をかけると、後日、通信販売から.475ウィルディマグナムなる極殺兵器を購入-Purchase-
カメラや新車を囮にしてまで悪党を狩り殺しまくる。その様は満足な仕事ができた伝統工芸士のような表情である。果てに民家に罠まで設置。暴徒VSガーシーの戦いは激化の一途を辿り、ついに暴徒は、ガーシーを殺すためだけの暴走族連合を結成し、通り魔的に火炎瓶やら手榴弾やらで町中攻撃、女は犯され、家は燃やされる
そんな暴動状態のNYでガーシーは地元住民の朝鮮帰還兵が隠し持っていたM1919重機関銃なる最終鬼畜兵器を開放し、通信販売で追加購入したロケットランチャーなる獄滅極戮至高兵器をもってして、暴徒を圧倒的な弾幕で虐殺しまくる……

此処に来て御歳64歳(ブロンソンの年齢)ポール・ガーシーは哀愁など女々しいとばかりに、圧倒的な火力を躊躇なく噴射する危険極めた猛毒老人となっている。
実は殺人に快楽を見出してしまったのか?第一作で暗示されていた野獣の魂が目覚めきったのか?いずれにしろポール・ガーシーは悲しみを経てヒーローとなったのである。映画の出来が恐ろしく雑なのは認めるが、なんか素敵だ。本文、冒頭でバカ映画と形容したが、素敵な映画だと思うよ。俺は。

2010年3月15日月曜日

グラン・トリノ

@イーストウッドも老けちまったな

古き良き時代の男とはなんだろう?イーストウッド御大は実に素晴らしい解答を示している。
「マトモな男ならダクトテープとバイスプライヤ、潤滑油さえあれば家の物は大概直せる。」

男に必要なのはマグナム銃でも、サイコ野郎との戦いでもない。ぶっ壊れた物はとりあえず動くように自力で直す、DIY精神こそが、先進国男性諸君が忘れつつある男の魂なのだと。
じゃあなんだこの映画は日曜大工の映画かよ?そうでは無い。
本作はイーストウッド御大演じる老人の晩節を描いた秀作だ。
この老人、親戚の自分勝手で偏屈さに拍車がかかっており、住み慣れた我が家の防衛に余生を賭そうとしていた。と、言うのも共産党の圧制から逃れた中国のモン族が彼の近所を圧倒的な人数で席巻するようになってしまったからだ。隣に住んでる婆さんに至ってはイーストウッド御大よりもパンチが効いているというオマケ付き。しかも、隣の少年が自分の愛車グラン・トリノを盗もうとしたもんだから、イーストウッド御大は高血圧気味で余生を過ごす羽目となる。
しかし、モン族の若者の少数がストリートギャング化しており、黒人のギャングと張りあって、同じモン族に暴力を振るっていた。そこにやってきたのが、イーストウッド御大。
「芝刈りも出来ない粋がった小僧ムシが好かねぇ」とばかりにギャングどもを追っ払う。

すると、翌日からモン族から感謝の声・お礼参りが殺到。
生きてる内に“お供え物”が毎日のように届く事態に激昂するイーストウッド御大だが、モン族の少女になだめられ、ようやく、地域住民との交流を結ぶようになる。
そして、車を盗んだ少年が謝罪の為に彼の元で雑用をこなすようになって行く。
イーストウッド御大は少年に色々な事を教えるようになっていくのだったが……

人種問題の根の暗さに踏み込むと同時に、過去や人種、年齢に縛られない男の友情をも描いた男のための映画である。

でも、イーストウッドよ、ライバル故チャールズ・ブロンソンのように町の不良どもなぞ通販で買ってきた最終鬼畜兵器による容赦ない皆殺しでもいいんでないかい?
あんた老けていてもビジュアルも演技もダーティー・ハリーのまんまなんだから。

2010年3月7日日曜日

ファニーゲーム

@駄作

本作の評価についてはもう語り尽くされている。
確かに、理不尽な猟奇殺人の現場を描きぬいた秀作なんだ。
悲惨にして不愉快にして平凡な映像。
呼吸するように排泄するように流される残虐事件。
素晴らしい。こんな悲惨美を見せる映画は無い。
だが、だが、なぜだ?なぜなのだ?

なんで巻き戻さなきゃならないのか?
なんで巻き戻してしまったのか?
なんでなんで?

どうしてもこのワンシーンで本作の評価を下げざるを得ないのは残念でならない。